ぷぅ先生って、いつから国際的な活動をしているの?

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疑問に感じているこうのすけ

ねぇねぇ、ぷぅ先生。クリフムの診療をしながら、学会の準備をしたり参加したりするの、すっごく大変だよね。

現場で患者さんも診ながら、毎月のように海外のあちこちにも飛び回っているお医者さんは少ないって聞いたよ。

ぷぅ先生はいつから海外も飛び回るようになったの?国際学会のデビューって、いつなの??

「いつだったかしら…。
あれは確か、3番目の子を出産した2年後だったから…
『1997年』かしらね」

わぁ~、ずいぶんと前から国際的な活動を始めていたんだね!

ぷぅ先生のことだから、最初からバリバリ発表していたんでしょ?

「いえいえ、とんでもない(笑)。
3人の子育て真っ最中でバタバタしていたし、産婦人科医になってまだ7年目だったのよ。
まだまだ勉強中の身であることを自覚していたし、最初の発表なんてもう口から心臓が飛び出そうだったわ」

驚いているこうのすけ

えっ、そんな状態で海外で学会発表したの!?

どんなきっかけで海外に?教えて教えて~!

「『経腟超音波で観察した胎児脳内血管』について、日台超音波シンポジウムで初めて症例発表したの。
そしたら、会場にいた鳥取大学名誉教授の前田一雄先生が、その場で声をかけてくださってね」

前田一雄先生って、クリフムができた時にお祝いの言葉をくれた先生だね!

その時からのお付き合いだったんだ。

どんな声をかけてくれたの?

「懇親会後のカラオケボックスで突然『あなたの発表は素晴らしかったです。あの脳血管のスライドを貸してくれませんか?』って言われて(笑)。
『来月、ヨーロッパで胎児脳のシンポジウムがあるんです』と」

気付いたこうのすけ

えっ!いきなりビッグチャンスが到来!?

「そうなのよ。その場で『あの発表内容はすぐに英語論文にするべきですよ』と言って、名刺にサラサラっと英語タイトルまで書いてくれて…。
その年の年末には、本当にその論文が世界産婦人科超音波学会のジャーナルに掲載されたの」

すごすぎる…。それが、ぷぅ先生の”人生初の医学論文”なんだよね?

「そう。あれが最初。でも、話はそこで終わらなかったのよ」

えっ、まだ続きがあるの?!

「シンポジウムの1ヶ月後にね、前田先生がヨーロッパで私のスライドも入れながらご講演されて、帰国後すぐにお電話があったの。
『世界的に高名な教授があなたのスライドを非常に高く評価されて、ぜひ譲ってほしいとおっしゃっています。でもこれはぷぅ先生が撮られた超音波画像なので、無断では差し上げられないとお話ししました。どうしますか』って」

驚いているこうのすけ

ええっ!?

そんなすごい人に評価されるなんて、夢みたいなお話だね。

「本当に驚いたわ。私が医師になったばかりの頃に、その先生の著書で超音波を勉強していたのよ。まさかそんな展開になるなんて…。
数日後、追加のスライドも作って、私から直接その先生にお送りしたの」

すると…?

「『来年、国際イアンドナルド超音波講座で講演をしてください』とお返事が届いたの。びっくりしたわ。
当時の私はまだ産婦人科医になって7年目。症例発表はしていても、講演なんて日本語でだってしたことがなかったのよ」

笑顔のこうのすけ

でも、ぷぅ先生はチャレンジしたんだね。

「ええ。1997年の夏、600枚のスライドを持って、前田先生と一緒にクロアチアのドゥブロヴニクに向かったの。
当時はパソコンじゃなくて、全部フィルムスライド。数kgあって、本当に重たかったわ」

600枚…!?

それを海外に持っていくだけでも大仕事だね。

「現地では、45分の講演を3つ。原稿もなしで、スライドを見ながら話して、質問にも答えて…。
夜中に何度も練習して、3日くらいほとんど寝ずに挑んだ講演だったわ」

話しているこうのすけ

うぅ…、ぼく感動しちゃった。

ぷぅ先生の勇気と努力と、あったかいご縁が詰まったエピソードだね…。

「ほんと、私ひとりの力じゃ到底できなかったことばかりよ。
真摯に向き合っていたらちゃんと見てくれている人がいて、手を差し伸べてくれる人がいて。
だからこそ、私もこれから、誰かの背中を押せる人でありたいと思っているの。
ママやパパ、お腹の中の赤ちゃんのために、これからも歩みを止めず研鑽を積んでいかなくちゃね」

笑顔のこうのすけ

ぷぅ先生、カッコいい!

ぼくももっとみんなにクリフムや出生前診断のことを知ってもらえるように、頑張るね!

今日もお話を聞かせてくれてありがとう。また聞かせてね。

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